翻訳するもののタイプによって表現も変わる

個人的な意見になりますが、私は翻訳をする時には、原書がどのようなタイプなのかによって日本語の表現を変えた方が良いように思います。
例えば、私がしている日本人学生が教室で英語を学ぶための教材を翻訳なら、できるだけ正しさを追求すべきだと思っています。しかし、専門書などでは「である、だ」調が読みやすいと思いますし、小説なら意訳もどんどん入れて、児童小説ならより優しさがこもった「です、ます」調の方が読みやすいように感じます。人間関係によって敬語やため口も変えるべきかもしれません。
ここで翻訳家が頭を悩ますのが、英語の訛りを日本のどこの訛りにするかということでしょう。大抵は東北の方の訛りになっているように思います。また、面白いのは、ハリーポッターに出てくるドビーというキャラクターは、自分のことなのに3人称を使って話をします。これをどのように表現するかは腕の見せ所ですよね。ちなみに、翻訳者の方は「ドビーめは~」と自分を卑下するかのような表現に当てはめています。映画で見た方はその雰囲気が見えると思います。か細い声で申し訳なさそうに喋りますよね。
でも、小説ではなく専門書などでは、このようにキャラクターによって話し言葉を変える必要はありません。その点では想像力は必要ないのですが、その道に精通していると言えるだけの知識は必要だと思います。小説を翻訳する時にはイメージと読解力が、専門書を翻訳する時には知識量と情報収集力が必要なのでしょう。
私はどちらかというと小説のように意訳を織り交ぜたいのですが、教育の現場で働いているとそれはなかなかできません。入試の際に誰が採点しても〇がもらえるような正しい回答を教えなければならないので、長文の翻訳は模範解答を目指しています。長文の一部を訳しなさいという問題に対し、私の真似をして意訳たっぷりにした生徒が×をくらっては、クレームが来てもおかしくありませんからね。訳すものによって表現は変わるのは当然なのでしょう。